2009年09月16日

百済寺跡訪問記・特別史跡百済寺跡編

2007/09/23の枚方市への旅・「百済寺跡・史跡編」


枚方市にある百済寺跡、百済王神社と史跡・百済寺跡から成っているのだが、前回の記事で百済王神社は紹介した。
そこで今回は国の特別史跡にも指定されている百済寺跡について取り上げる。
2007_0923_151717_百済寺の伽藍配置図.JPG
上の写真は百済寺・伽藍配置図の写真


百済寺跡は百済王神社のすぐ横に隣接している。敷地内からも入ることができる。
塔や金堂などの跡がはっきりわかっていることから伽藍配置についても上記写真の通りに判明している。
その伽藍配置はなぜか新羅の影響を色濃く受けているという。
なお、百済寺は国の特別史跡にも指定されている。


2007_0923_151657_百済寺西塔の石碑.JPG
上の写真は百済寺・西塔の石碑の写真


2007_0923_151631_百済寺西塔跡の礎石.JPG
上の写真は百済寺・西塔跡の礎石の写真


百済寺は東大寺大仏のための金を陸奥国から提供した陸奥守・百済王敬福が百済王氏の氏寺として建立した寺と言われている。
平安末期には衰退し消失していたというから、現在においては当然建物は残っていない。礎石が残るのみである


2007_0923_151748_百済寺金堂跡.JPG
上の写真は百済寺・金堂跡の写真


百済寺跡一帯は史跡公園として整備されている。実際この時も多くの人たちが散歩していたり、芝生にたむろしていたりしていた。
上の写真は金堂跡の石碑および金堂跡の様子である。下にも講堂跡、東塔跡、中門跡、南大門跡と連続で掲げていく。


2007_0923_151843_百済寺講堂跡.JPG
上の写真は百済寺・講堂跡の写真



2007_0923_152511_百済寺東塔跡.JPG
上の写真は百済寺・東塔跡の写真



2007_0923_152528_百済寺東塔跡.JPG
上の写真は百済寺・東塔跡の写真



2007_0923_152555_百済寺中門跡.JPG
上の写真は百済寺・中門跡の写真



2007_0923_152610_百済寺南大門跡.JPG
上の写真は百済寺・南大門跡の写真



http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/99bc97f9bfbd67c8905e835c57bb6b0dhttp://blogs.yahoo.co.jp/yxhfj414/50940958.htmlのブログ記事によると、まだまだ遺構がどんどん発見されているようである。修理院跡などは非常に興味深いというものだ。百済王氏が奈良時代から平安初期にかけて勢力をもっていた様子がよくわかる。

■地図と行き方
京阪交野線・宮之阪駅から徒歩10分程度。

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posted by アイナット at 11:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 枚方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

百済寺跡訪問記・百済王神社編

2007/09/23の枚方市への旅・「百済寺跡・百済王神社編」


枚方市の意外なスポットが百済寺跡である。百済王神社と史跡・百済寺跡から構成されている。
今回は百済王神社のみに絞って紹介し、次回に史跡・百済寺跡については取り上げようと思う。
2007_0923_151128_史跡百済寺跡.JPG
上の写真は史跡百済寺跡入口の写真


交通量の多い通り沿いに、百済寺跡の入り口はある。ここを登っていくと次の写真の場所へ続いていく。


2007_0923_151138_百済王神社の鳥居.JPG
上の写真は百済王神社の鳥居の写真


百済王神社はその名の通り百済国王を、そして須佐之男命(牛頭天王)を祀っている。


2007_0923_151223_百済王神社.JPG
上の写真は百済王神社の写真


そもそも百済は白村江の戦いで朝鮮半島南西部に保っていた勢力を決定的に全て失ってしまった。
それ以前に百済は王族を人質として同盟国であった日本へ残していたことが幸いし、百済王族の血脈は日本で生き延びることとなった。(朝廷から百済王[くだらのこにきし]の貴族の姓を賜って百済王氏となった)
百済王神社は、そんな百済王氏の氏神を祀る神社として出発したわけである


2007_0923_151321_百済王神社説明.JPG
上の写真は百済王神社の説明板の写真


案内板は拡大すれば一応読むことができる画質だと思うが、
ここには既に説明した内容の他にも、次のような点が書かれている。
  • 奈良時代に陸奥守・百済王敬福が聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際して、陸奥の金を献上した貢献から河内守に任ぜられたこと
  • 河内守になったことで、この地に百済王神社を造営し、一族共々移り住んだこと
  • 朝廷や高級貴族とも姻戚関係を築くなど力をつけ、桓武天皇とも親交が深かったこと
  • その後は火災なども多数あり衰退し、奈良・興福寺の傘下に入り、現在の本殿は春日大社の本殿を移築(「春日移し」という)したということ
その他の写真も以下に掲げておく。

2007_0923_151358_百済王神社_神馬像.JPG
上の写真は百済王神社の神馬像の写真



2007_0923_151416_百済王神社拝殿.JPG
上の写真は百済王神社拝殿の写真



次回は特別史跡・百済寺址について取り上げる。


■地図と行き方
京阪交野線の宮之阪駅で下車して徒歩10分ほどである。

他のブログにおける百済王神社紹介記事を紹介。合わせて見ると参考になると思います。
http://nuribotoke.blog38.fc2.com/blog-entry-131.html
http://blogs.yahoo.co.jp/drunken_kan/49316075.html
タグ:百済 枚方
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posted by アイナット at 12:54 | Comment(0) | TrackBack(1) | 枚方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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