2009年10月06日

明日香・「鬼の雪隠・鬼の俎」編

2007/09/15の明日香村への旅・「鬼の雪隠」編


明日香・鬼の雪隠
上の写真は明日香_鬼の雪隠の写真


「鬼の雪隠(おにのせっちん)」は墳丘土を失った終末期(7世紀末)の古墳の石室の一部です。花崗岩で作られています。

下の写真の「鬼の俎(おにのまないた)」が石室の底石になっており、本来はこの二つで一つの石室を構成していました。

なお欽明天皇の陪塚だったという説もありますが、誰の墓だったのかは不明です。
鬼の俎
上の写真は明日香_鬼の俎の写真



伝説によると、霧ヶ峰という鬼が通行人を霧を吹きかけて迷ったところを捕まえ食べたという。その際、まず「俎」で調理を行い、食べた後、「雪隠」をトイレとして利用したということである。



下に説明板の写真も挙げておきます。


明日香・鬼の雪隠_説明板
上の写真は明日香_鬼の雪隠 説明板の写真




■地図と行き方
近鉄吉野線の飛鳥駅から徒歩二十分ほど。

タグ:飛鳥 首都
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2009年10月02日

飛鳥・文武天皇陵

2007/09/15の明日香村への旅・「文武天皇陵」編


明日香_文武天皇陵
上の写真は明日香_文武天皇陵の写真


文武天皇は飛鳥時代末期の天皇である。
父親は草壁皇子。その草壁皇子は天武天皇と持統天皇の長子である。
聖武天皇の父親でもある。

ちなみに有名な大宝律令はこの文武天皇の治世で定められたものだった。

明日香_文武天皇陵 案内板
上の写真は明日香_文武天皇陵 案内の写真



宮内庁比定の文武天皇陵は上記写真の場所とされているが、研究者の間では、実際の文武天皇陵は、八角形の墳丘である中尾山古墳というのが有力となっている。下の写真はその中尾山古墳のもの。

中尾山古墳
上の写真は明日香_中尾山古墳の写真



ちなみに中尾山古墳は高松塚古墳を挟んで宮内庁指定の文武天皇陵の反対側に位置している。どちらも高松塚古墳のすぐ近くである。

ちなみに恒例の高松塚古墳の一般公開が10月末から開始されるそうです。詳しくはこちらのブログ記事から。http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51003513.html

■地図と行き方
近鉄吉野線の飛鳥駅から徒歩15分ほど。

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2009年09月14日

明日香・甘樫丘(蘇我氏を思う)

2007/09/15の明日香村への旅・「甘樫丘」訪問編


2007_0915_160825_甘樫丘説明.JPG
上の写真は甘樫丘説明の写真



甘樫丘は標高148mの丘陵である。

日本書紀の記録によれば、古墳時代の允恭天皇の時代にこの地で盟神探湯(釜で沸かした熱湯を使った神明裁判のこと。無罪ならば火傷をしないらしい)が行われたという。

また飛鳥時代には蘇我氏(蘇我蝦夷、蘇我入鹿)の邸宅があったとされる場所であり、その展望台から見える眺めを思うと、いかに蘇我氏が飛鳥の都において権勢を持っていたかが想像できようというものだ。

蘇我入鹿と蝦夷は日本書紀の言うように絶対悪であったのか、それとも仏教取り入れや聖徳太子からも分かるように国を思う改革派の急先鋒であったのかは想像するしかないが、その想像を大いに楽しめる場所と言えるだろう。


2007_0915_160106_甘樫丘展望台.JPG
上の写真は甘樫丘展望台の写真


決して高くもなく容易に上れるため、明日香村を訪れたならば、ぜひ登って欲しい展望台である。

2007_0915_155418_甘樫丘から畝傍山(奥は二上山).JPG
上の写真は甘樫丘展望台から甘樫丘から畝傍山(奥は二上山)を臨む写真


畝傍山は大和三山の一つ。甘樫丘は飛鳥の中心にあるため、この展望台からは全ての大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)を眺望することが可能だ。


2007_0915_155914_耳成山(右手前は天香具山).JPG
上の写真は甘樫丘展望台から耳成山(右手前は天香具山)を臨む写真



2007_0915_155430_左が畝傍山_右が耳成山.JPG
上の写真は甘樫丘展望台から畝傍山(左)、耳成山(右)を臨む写真



2007_0915_160538_甘樫丘_志貴皇子.JPG
上の写真は志貴皇子・歌碑の写真


甘樫丘には志貴皇子の万葉歌碑も置かれている。
・采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く

志貴皇子は天智天皇の息子ではあったが、壬申の乱で兄で近江王朝側の弘文天皇(大友皇子)が敗退した結果、天武天皇系が天皇位を引き継いだため、政の世界からは遠ざかってしまった。

それがゆえに文化人として行き、万葉集にも多くの歌が残されている。

また本人は天皇にはなれなかったものの、末裔は奈良時代末期に息子の光仁天皇が皇位を継承したために奈良末期以後からは天皇家の直系と祖となった古都でも知られる。

未整理だが、その他の写真を下記に挙げておく。

2007_0915_160122_甘樫丘からの写真.JPG

2007_0915_155903_左が畝傍山_右が耳成山.JPG

2007_0915_155801_甘樫丘からの写真.JPG

2007_0915_154509_甘樫丘からの写真.JPG

■地図と行き方
近鉄電車で橿原神宮前駅や飛鳥駅まで行き、そこからバスやレンタサイクルを利用して行くのが楽である。
お勧めはレンタサイクルの利用。

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