2009年07月27日

謎の一心光庵跡

前回の恭仁神社の記事に合わせて紹介すべきだったのだが、一枚忘れていたので、ここで紹介。

一心光庵跡
上の写真は一心光庵跡のボケボケの写真。


タイトルで謎を付けたのは、ピンぼけの写真はあるもののよくわからないからである。
恭仁神社の手前の参道に沿った林の中にあった謎の跡である。「一心光庵」という文字が読めたので勝手に「一心光庵跡」と名付けたはいいが、よくわからない。

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posted by アイナット at 11:02 | Comment(0) | 木津川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月26日

海住山寺・訪問記

2006年10月7日の旅の記録。
加茂町、現在の木津川市の海住山寺訪問記である。


海住山寺の山門
上の写真は海住山寺の山門の写真。


前回の恭仁京の記事で紹介した恭仁京訪問を終えたら、徒歩圏内にある海住山寺を目指すのがセオリーというものだろう。
海住山寺は真言宗寺院で創建は奈良時代にまでさかのぼる由緒正しき寺院で、国宝重要文化財を多数所有する見所満載のお寺となっている。


海住山寺の国宝・五重塔
上の写真は海住山寺の五重塔の写真。


多数の文化財であふれかえる海住山寺にあって、国宝は五重塔、およびその中にある五重塔初層内陣扉絵だけである。
鎌倉時代創建の五重塔は予想よりも小振りだったが美しさでは薬師寺の凍れる音楽に匹敵する見事さを誇っている。
本堂内の平安時代や鎌倉時代の仏像も見どころだ。特に象の像には関心を持った。重要文化財が大多数を占めている。
またこの海住山寺は境内に各種のお地蔵さんが揃いに揃っているのも興味深い。特に妙に違和感があるようで調和している茄子には目を見張るばかり。


海住山寺への道のりから加茂町を望む

上の写真は海住山寺への道のりから加茂町を望む写真。


海住山寺は山の中腹にあるため、舗装された道ながらも辿り着くまで多少疲れるが、その分美しい眺めを堪能することができる。 (訪問した時はにわか雨が降ってきたために難儀した)

■地図と行き方
大阪方面からは大阪駅や天王寺駅などからJR大和路線の終点・加茂駅で下車。(京都方面からはJR奈良線・木津駅で、大和路線に乗り換え)
海住山寺は加茂駅からは30分以上かかる距離にはあるが、途中に恭仁京跡もあるので、風情を十二分に堪能するためにも、歩いて訪れたいところだ。
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posted by アイナット at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | 木津川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

恭仁京跡(首都制覇計画)

2006年10月7日の旅の記録。

恭仁京跡(旧山城国分寺跡)の石碑
上の写真は恭仁京跡(旧山城国分寺跡)の石碑の写真。

首都制覇計画の一環として京都府加茂町(現・木津川市)の恭仁京跡(山城国分寺跡)を訪問した。
さすがに跡地にすぎないだけあり七重塔跡の礎石群とその碑や大極殿跡の碑などがあるばかりである。



石碑と七重の塔の礎石跡の写真
上の写真は石碑と七重の塔の礎石跡の写真。

恭仁京といえば、奈良時代に聖武天皇が遷都した都の一つに数えられる。
藤原不比等の息子たち(藤原四兄弟)や舎人親王など政治的実力者が疫病の大流行で相次いで死亡したり、藤原広嗣の乱による政局の混乱に嫌気が差して遷都したものだろうか? 平城京から、時の権力者に駆け上がり右大臣だった橘諸兄の本拠地である恭仁京に突然遷都することになった。天平12年(740年)の末のことだ。
この恭仁京も3年足らずの短期間で聖武天皇の気まぐれで捨てられることになってしまうが、「国分寺、国分尼寺建立の詔」と、「大仏建立の詔」が出されたことは日本史上に名高いだろう。
なお、次の都は甲賀市の紫香楽宮である。



恭仁神社の写真
上の写真は恭仁神社の写真。

近くにあったので恭仁神社にも行ったがここは特に無理して行くほどではなかったか。なにせ近くと行っても恭仁京跡からでも1キロ離れている上に駅から遠くなる。これも山の方角であり特徴的なのは狛犬と鳥居から本殿への距離の長さだろうか。



下二枚の写真は木津川を望む写真。素晴らしき日本の原風景だ。
木津川を望む写真1


木津川を望む写真2

木津川市(旧加茂町領域)はまさに原風景とも言えるような田舎であった。

駅前はさすがに大阪市の中心部まで大和路快速で1時間未満というだけあってマンションが立っていたりしていたが、1キロも歩くまでもなく、田舎ゾーンである。これは安土城の安土町もかなり田園風景であったが、この加茂の方が一枚上手である。これで車と電信柱がなければ何時代なのかわからなくなるほどなのだ。車は仕方ないにしても、電信柱はやはり風景的に非常に邪魔であると改めて思ったのであった。ちなみに車は危険すぎるから地図にない裏道を通るわけで余計にそう思うのであった。



ちなみに木津川市の旧加茂町領域は歴史観光の宝庫である。他にも海住山寺や浄瑠璃寺などの国宝を有する寺が複数存在する。 海住山寺については、また木津川市のカテゴリにて、別途、稿を起こすので、見ていただきたい。

■地図と行き方
大阪方面からは大阪駅や天王寺駅などからJR大和路線の終点・加茂駅で下車。(京都方面からはJR奈良線・木津駅で、大和路線に乗り換え)
加茂駅から恭仁京跡までは徒歩でも20分程度で到着する。バスもあるので必要に応じて乗ってもいいだろうが、この日本の原風景の町は歩くことをお勧めしたい。
恭仁神社は更に恭仁京の奥に10分ほどの距離。同じ方向に海住山寺もある(恭仁京から更に20分の山道)ので合わせて訪問することも容易だ。ぜひセットで訪問したい(浄瑠璃寺、岩舟寺は反対方向なので乗り物必須)
(下記地図は恭仁京を中心にしているが、北に海住山寺、西に恭仁神社がある)
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posted by アイナット at 12:17 | Comment(0) | TrackBack(1) | 木津川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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