上の写真は長岡宮大極殿跡地の写真
首都制覇計画とは、平安京、平城京など過去に日本の首都だったところを全て訪問する計画である。
今回は長岡宮跡を訪問すべく京都府向日市に出かけたわけだ。
長岡京市ではないのか? という疑問に答えておくと、確かに長岡京は現在の向日市および長岡京市のエリアに広がっていたが、その中心たる長岡宮となると、全て向日市ということになるのだ。
上の写真は長岡宮の写真2
上の写真は長岡宮の写真3
上の写真は長岡宮の写真4
向日市内の住宅街にあることもあり、現在の長岡宮跡地は政治の中心であった大極殿跡の大極殿公園を中心にして、分散して点在する形をとっている。上記に挙げた写真も1箇所ではなく、近隣に分散している。
このあたりが現在の市街地における遺跡の限界点なのであろう。既に住宅地となっていてはどうにもならない。遺跡は田舎の方が大規模に整備しやすいのである。
ところで長岡京は、784年の桓武天皇の治世中に藤原種継が中心となって平城京から遷都を行った都だ。
父親で老いた状態で皇位継承した光仁天皇の時代より天智天皇系に切り替わっていた天皇家であったが、やはり天武天皇系の勢力が数多く残る平城京では様々な利権勢力との軋轢も生じていたのだろう。桓武天皇と藤原種継は平城京を捨てることを思い立ったに違いない。
ところがその藤原種継が暗殺されてしまい、結局桓武天皇は794年に平安京へ再遷都している。藤原種継暗殺に絡んだとされる弟の早良親王を島流しにし死においやったのだが、その後長岡京内で早良天皇の祟りと思われる飢饉、疫病、川の氾濫等が起こったことが契機となっているとのことだ。
■地図と行き方
大極殿公園へは、阪急電車・京都線の西向日駅から徒歩圏内である。その他の遺構も徒歩範囲の近隣にある。
大阪からならば、阪急梅田駅(JR大阪駅隣接)で特急に乗り、長岡天神で普通又は準急に乗り換え、京都方面からは河原町駅、烏丸駅(JR京都駅から地下鉄で2駅)等から普通or準急で行くのが良いだろう。
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