2008/04/29の
大津市の旅・「近江大津宮」編 その1
上の写真は近江大津宮・錦織遺跡の写真
この地の錦織遺跡が近江大津宮の跡地だという。
そもそも近江大津宮といえば、白村江の敗戦の後、親百済政権だった天智天皇(中大兄皇子)が従来の飛鳥から近江に都を移したことによって作られた首都であった。
遷都の理由は唐や新羅からの攻撃に備えたものとも言われている。
近江大津宮の運命は壬申の乱の敗北によって潰えている。
天智天皇亡き後、跡を継いだ弘文天皇(大友皇子)が、唐や新羅と和平したと思われる天武天皇(大海人皇子)に敗退したため、大津宮は廃されたからということである。
上の写真は近江大津宮・錦織遺跡の写真
さぁ、遺跡で楽しむべきは妄想であろう。
この地で無念の晩年を過ごしたという天智天皇、大友皇子と大海人皇子が争ったという壬申の乱や思い浮かべて、といいたいところだが、この地は住宅街のまっただ中だったりするのである。残念ながら遺跡という名の空き地はベットタウン然とした住宅街の中に点々としており、1300年前を妄想するには余りにも不適当と言わざるを得ないだろう。
そういう意味では藤原京、恭仁京、紫香楽宮の方が遙かに適しているとは言えるだろう。
上の写真は近江大津宮・錦織遺跡 説明板の写真
■地図と行き方
・京阪石山坂本線の近江神宮前駅から徒歩数分。
posted by アイナット at 15:32
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大津
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