2009年08月24日

安土城跡 織田信長の夢の跡

2006/10/01の安土町訪問記


安土駅前の織田信長像
上の写真は安土駅前の織田信長像の写真


JR安土駅駅前には、織田信長像が出迎える。
現段階では観光の町とは言いきれない寂しさが漂うものの、やはり戦国の世を謳歌した安土の町だけに織田信長像が建っている姿は単純に嬉しい。

安土城の様子は最近の発掘などでずいぶん判明してきてるようで、立ち寄った博物館や92年セビリア万国博で展示された信長の館などは素晴らしく再現されていたように思えた。
ただまだまだ想像の産物と思われるのが困るのか、史実に基づくという点も強調していた。

安土城跡入り口
上の写真は安土城跡入り口の写真


雨が激しく降っていたものの安土城址にも突撃した。

安土城跡・大手道
上の写真は安土城跡・大手道の写真


安土城跡・信長廟
上の写真は安土城跡・信長廟の写真


安土城跡
上の写真は安土城跡の写真


100メートル少々の山とはいえ、石段にするとほぼ500段であり、それなりにキツイ行程である。だが、大手道を歩き、伝羽柴秀吉邸跡や伝前田利家屋敷跡などを歩くとたった430年の年月を経ただけであると想起するとまさに興奮するばかりであった。天主跡も同様である。またこういう場所に来ると木々に注目するが当然ながら若い木しか目に入らなかった。
安土城跡・ハ見寺山門
上の写真は安土城跡・ハ見寺山門の写真


安土城跡・ハ見寺山門 その2
上の写真は安土城跡・ハ見寺山門の写真2


安土城跡・ハ見寺三重塔
上の写真は安土城跡・ハ見寺三重塔の写真


安土城跡には、上記写真のようにハ見寺の三重塔などもある。奈良や京都のように丁寧に整備されてはいないだけに、強者どもが夢の跡や自然と一体化した趣を感じるスポットとなっている。

それにしても、欧州にあるという安土城屏風本物が発見されないことには大々的な安土城再現プロジェクトは出来ないのだろう。もし史実に基づいた安土城+城下町が平成の世に復活すれば一大観光地になること間違いなしであるだけに期待はしたいところである。(一方で陳腐な復元は興趣を削ぐばかりで、世界観を破壊することにもなるだろうから恐ろしくもあるが)。安土町は田舎である割には京阪神および名古屋、それに新幹線からも含めた交通の便が優秀であるため、ある意味田舎だから優位とも言えるのだ。

参考までに安土町情報を一気に書き残しておくと、大雨の中わかりにくい位置にあるセミナリヨ跡を見付けたが公園に碑があるだけで拍子抜け。まぁ跡だから当たり前なのだが。それと信長の館のある文芸の郷で戦国焼あるいは信長ハンバーグを食べようとしたら券売機が売り切れ表示・・・。これも拍子抜けであった。結局考古博物館で近江牛肉うどんを食べたのだった。は嫌だったので。今回は断念したが、この町には六角氏の観音寺城跡も有している。こちらは難攻不落の400メートル以上の山城であるため攻略は難しいそうではある。

■地図と行き方
安土城跡や安土城博物館へは、JR琵琶湖線(東海道線)の安土駅から徒歩圏内である。(ただし新快速は止まらないので注意すること)



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posted by アイナット at 14:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | 安土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

元興寺極楽坊

2006/10/28の奈良市の元興寺訪問記 その2


元興寺極楽坊・本堂
上の写真は元興寺極楽坊・本堂の写真


前回は元興寺の歴史および元興寺塔跡の記事を紹介しましたが、今回は元興寺極楽坊です。

元興寺極楽坊は、聖徳太子信仰で有名な寺です。
やはり、血縁一族の蘇我馬子が建立した法興寺の後身ということ、そして太子信仰隆盛期の室町時代に元興寺自体が奇禍に遭い、3寺院に分裂(前回記事参照)してしまったということに関係あるのでしょうか。
いずれにせよ、お勧めの寺院ですので、奈良公園近くに立ち寄った際にはぜひに訪問しましょう。

本堂の別の角度から撮った写真を下記に挙げておきます。 元興寺極楽坊・本堂2
上の写真は元興寺極楽坊・本堂の写真2


元興寺極楽坊・本堂3
上の写真は元興寺極楽坊・本堂の写真3


元興寺極楽坊・本堂4
上の写真は元興寺極楽坊・本堂の写真4



■地図と行き方
近鉄奈良駅およびJR奈良駅から徒歩10分ほど。
タグ:元興寺 奈良
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posted by アイナット at 12:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | 奈良 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

元興寺塔跡

2006/10/28の奈良市の元興寺訪問記 その1


元興寺塔跡の碑
上の写真は元興寺塔跡の石碑の写真


元興寺は、蘇我馬子によって建立された本邦初の本格寺院・法興寺(飛鳥)の後身です。

平城京遷都にあたり、法興寺も移転するという話になり、奈良の都に元興寺が建てられました。ちなみに移転元の法興寺も廃止されることはありませんでした。ゆえに「元興寺」という新しい名前が付けられています。(飛鳥の法興寺の方は現在の飛鳥寺まで続いています。)

この元興寺、その後も波乱に満ちた歴史の流れの影響を受けてきました。
平安時代には既に退廃しつつあり、室町時代には土一揆に巻き込まれて多くの建造物や寺宝が焼けてしまいます。
そしてこの室町時代あたりで、元興寺は3つに分裂。
つまり、
・元興寺・極楽院(現在の元興寺・極楽坊)
・元興寺・観音堂
・元興寺・小塔院
に分かれてしまいます。

今回紹介するのは元興寺・観音堂になった五重塔跡です。
(極楽坊についてはまた次の機会に紹介します)

すでに上に挙げている写真は元興寺・観音堂にある五重塔跡の石碑です。江戸末期に観音堂の建物もろとも消失していました。

元興寺塔跡の礎石
上の写真は元興寺塔跡の礎石の写真


興福寺五重塔よりも大きかったものの、焼けてしまい再建もされていないため、このように礎石が残るのみとなっています。往時を偲ぶのみです。
ちなみに元興寺・観音堂所有の国宝・薬師如来立像などの文化財は奈良国立博物館に寄託しています。

■地図と行き方
奈良公園の南部に位置し、近鉄奈良駅から徒歩10分ほどで到着します。
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posted by アイナット at 12:48 | Comment(0) | 奈良 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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